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2006年4月23日 (日)

カメラの挽歌、パンドラの箱

4月21日、マミヤ・オーピーが光学事業からの撤退、事業譲渡を発表した。
特定調停の申立も行われているので、相当に経営状態は良くない。

昨年12月に渾身の新型一眼デジカメMamiya ZDを発売したばかりだが、販売を続けるだけの体力がもう残されていなかったようだ。

コダック、プロフェッショナル事業部撤退。
京セラCONTAX撤退。
コニカミノルタ、日本最古のカメラメーカーの歴史に幕を下ろし、光学事業から撤退してSONYに事業譲渡。
そして今回、マミヤ・オーピーが光学事業から撤退して事業譲渡だ。

こうなるともう次はどこだと思ってしまうくらいである。

目立たないところでも既にドイツのアグファ・ゲパルト倒産。タムロンのブロニカカメラ撤退、フジがフィルム事業部で3000人弱のリストラとモノクロ製品の生産打ち切り、コダックもモノクロ製品の生産打ち切りなどなど、最近写真業界では凄まじいばかりに撤退とか中止とか倒産のニュースばっかりである。

デジカメの隆盛は、物凄くはっきりした形でいわゆる勝ち組と負け組をバッサリ色分けしてしまった。明らかにNikonとCanonが勝ち組で、他は負け組である。

じゃあNikonとかCanonはウハウハかって、Nikonはデジカメ傾注宣言をして各界にまで波紋を広げ、Canonも長いことフィルムカメラの新製品がない。たぶんこのままフェードアウトだ。両者とも薄氷を踏む思いに違いない。この世界は一発ハズした製品を出すと呆気なく転げ落ちるような雰囲気が漂っている。光学機器メーカーであるNikonと、元は光学機器メーカーだが今や光学機器「も」作っている総合メーカーであるCanonとでは内実随分違うだろうが。

オリンパス、ペンタックス、フジはまだ頑張っているが、およそ調子がいいわけではない。オリンパスなどは一時期コンパクトデジカメNo.1メーカーの座をフジと争ったりしたが、今や光学事業部赤字である。凄く頑張って出したフォーサーズ規格のカメラも、オリンパスだけ先行したはいいが後に続くメーカーがなかなか出ず孤立無援で、オリンパス討ち死にかと思われたほどだ。今度Panasonicからもフォーサーズ機が出ることになったが、これはオリンパスとの共同開発であり、現状は贔屓目に見ても売れていない。似たような感じにペンタックスはサムスンと提携した。フジもコンパクトデジカメの伸び悩みと共に調子が悪い。そしてフジの場合はデジカメが売れれば売れるほどフィルムが売れなくなるので自分で自分の首を絞めているわけだ。もちろん、デジカメが売れるこの流れは変えられないと判断した上でどうせデジカメに喰われるなら、よその製品にではなく自社製品にと考えて肉を切らせて骨を断つ理論でのデジカメ販売なのだろうが、フィルムが売れないとそれを現像したりプリントしたりするケミカル関係の商売も連動して左前になる。

旧来の写真とはけっこう大規模な仕組みで出来上がっており、「生もの」であるフィルムや感光紙、現像液、そしてそれを現像したりプリントしたりする機械が全国に網の目のように供給されないと成り立たないものだった。カラーネガフィルムの場合、現像とプリントは「ミニラボ機」と呼ばれる自動機械になっていたのだが、このミニラボ機の販売や消耗品である現像液の補給・メンテナンスはフィルムメーカーの収入の大きな柱だったし、そのミニラボ機を使っての現像やプリントも様々な場所でそれを稼働させる人間の収入となっていた。当然だが、デジカメの普及でこのミニラボ機事業は壊滅的打撃である。全国に分布する「写真屋さん」のためもあって「デジカメプリント」でなんとか息を繋ごうとしているが、デジカメからのプリントであればカラーコピー機メーカーでも手を出せる(実際ゼロックスなどが手を出している)ため、新たな敵を相手にする必要まであってまさに四面楚歌。そりゃあ調子も悪くなるさ。

いやもう、NikonとCanon以外はやめられるもんならやめたいくらいの気持ちかも知れない。たぶんフジもフジほどの規模でなかったらコニカミノルタのようにケツまくってフィルムから撤退していたと思うし、ペンタックスは光学機器会社だから退路がないだけ。オリンパスはいつカメラをやめて今や本業の医療機器専業になっても不思議はない。マミヤもデジカメの隆盛で売り上げが相当に落ち込んだようだ。けっこう長いこと中判一眼レフの雄としてプロユースで確たる地位を築いたマミヤだが、中判はデジカメ化しにくい分野であり、中判に特化したメーカーであったことがまさに首を絞める結果となった。

デジタルカメラにおいて何が難しいかって「でかい受光素子を作ること」以上に難しいことはない。デジカメの進化の歴史とは受光素子製造技術の進化の歴史だと断言してもいいほどで、10万円台でレンズ交換式デジタル一眼レフが売られるようになったのはまさにこの受光素子製造技術が向上したお陰だ。一昔前、いま20万円もしないで売られているデジタル一眼レフよりもずっと性能的に劣るデジタル一眼レフが、200万円とか300万円で売られていたのである。これはボッタクリ商売だったわけではなくて、そのくらい大きな受光素子を作るのが難しかったからだ。今は亡きCONTAXの、無理をして24mm×36mmの135判フィルム同一サイズ、いわゆるフルサイズに拘ったデジタル一眼レフ「N DIGITAL」も、80万円もしたわけだが「半分くらい受光素子の値段で京セラは全然儲かってないどころか損をしている」噂があったくらいだ。真偽は知らないが、このカメラがあんまり儲からなかったことだけは間違いない。それほど無理をしたが、いやそれほど無理をしてしまったせいで、性能的に大変偏ったカメラとして出来上がってしまったN DIGITALはデジタル一眼レフ史上でも有数の使いこなしが難しい難物になってしまい、市場の評価は低いままに終わった。N DIGITALの大コケはCONTAX撤退のそれなりに大きな理由になったと思う。フィルムで撮っていた時代は撮影面積がでかければでかいほど単純に情報量は上がる仕組みだったため撮影用途に応じてフィルムサイズを選択して撮っていたわけだが、中判、大判となるとそんなでかい受光素子は今の技術では作れないし、仮に作ろうとすると天文学的に高くつく。現在、ある程度量産されている受光素子で最大のものは約48mm×36mmである。このサイズでも一昔前からすれば驚異的な大きさなのだが、2006年春現在、このサイズの受光素子を載せたカメラを作ろうとすると100万円以下は絶対無理。これでも安くなったほうで、ちょっと前ならこのサイズの受光素子を載せたカメラ作ろうと思ったらカルく400万仕事だった。Mamiya ZDは130万円くらいで48×36の受光素子を載せてきた。読者の皆さんがどう思うかは別として、これはこのサイズの受光素子のカメラとしては2006年春現在かなり安い部類に入る。しかし正気になって(笑)判断すれば、ちっとも安くない。それでも載せざるを得なかったのである。中判カメラメーカーである以上、今まで販売したカメラそしてレンズのユーザーに訴求するには大型の受光素子を使った「中判デジカメ」を作らなければならない。普通の一眼デジカメでいいならNikonやCanon買えばいいからだ。そしてその通りにそれらのデジカメに既にやられまくっていたマミヤとしては、大型の受光素子が安くなるまで待てなかった。そこで勝負に出たわけだが、結果としては討ち死にである。

デジカメの歴史を見てみると、無理をして高性能を出そうとしたメーカーは絶対失敗している。これはもう法則に近い。だいたいデジカメを世に広めたのも、安価であること以外に何も長所がなかったカシオQV-10だ。しかし安いことだけで大ヒットした。コダックのプロフェッショナル事業も高性能高価格デジカメのみを販売していたが、結果として撤退となった。デジカメ勝ち組のNikonは、CCDを自社生産していない(公表はされていないがSONY製である)関係もあって、ずっと性能的に無理をせずやってきた。結果としてはこの無理をしない政策がマニア受けは良くなかったが功を奏した。フルサイズに拘ったコダックもCONTAXも撤退である。Canonもいちおうフルサイズ機を出しているがほとんど売れていないし、このやりかたはCanon特有の昔から一貫した商売方法「高性能でバカ高い機種を出すことで安い機種がより安く見えるようにする」なのである。

デジカメは結局心臓部分がエレクトロニクス技術なので、この部分は日進月歩であることと加速度的に安くなることが避けられない。かつて200万だったデジカメは今や二束三文。5万円で売ることすら難しい。20万円しない現役デジカメより性能で圧倒的に劣るのだからどうしようもない。200万円で買った人間は、そのデジカメをよほど仕事に活用でもしていない限り大枚を叩いて粗大ゴミを買ったようなもので、20万のデジカメはゴミになっても最悪20万の損失だが、200万のデジカメがゴミになれば200万の損失だ。そしてデジカメは市場価値的には遅かれ早かれゴミになる。パソコンと一緒で、高性能高価格は通用しないのだ。放っておけば同じ性能が安く手に入る時が必ず来るし、必ずそうなってきた。デジカメに大枚を突っ込むのは、それが回収できると分かっているプロでない限りマニア(ちなみにこの言葉の語源はギリシャ語で「狂気」を意味する)か世間知らずのすることだ。必要最小限の機能を備えた安価モデルを買い換えてゆく方が、同じ金を払ったと仮定したとき必ずよりいいものが手に入る。

ここでクラシックカメラの狂信者は「クラシックカメラ価値不滅!」と原理主義のお題目を唱えたりするわけだが、本当に歴史的価値があるような逸品はまあその通りとして、それ以外のたかが量産品の死に損ない生き残りなど、フィルムメーカーが音を上げて撤退してしまえば一発でゴミになる。前述の通りの複雑な産業構造が維持されなければフィルムカメラはカメラとして生き続けることが出来ないからだ。フィルムがなければただの箱以下。デジカメは壊れない限りデジカメとして使えるのとは違う。そのフィルムメーカーはみなデジカメの隆盛で青息吐息。いつやめても不思議はない状態だ。現にアグファは潰れたし、コニカもコニカミノルタとして合併後結局写真から完全撤退した。コダックはずいぶん前から左前で、フジだってフィルム事業部は大規模なリストラを敢行している。

本当は「光学」製品である以上、デジカメであってもレンズの性能差による差が生じる筈だしそのような論議もなされてきたが、フィルムの時代は「同じフィルムで撮影」する比較が可能だったものが、デジカメになるとこのような同一条件によるレンズの比較はできなくなって良くも悪くもレンズなんだか受光側なんだかどっちの責任かよくわからなくなった上、エレクトロニクス部分の出来不出来による違いが大きくなってきた。いやもう実際問題、このエレクトロニクスの部分による違いがどんどん進化してきて、かなりゴマカシが効くようになった。効くようになったどころか、今はもう開発の主体がこのゴマカシの方に移行しているくらいだ。そのお陰で携帯電話のゴマみたいなサイズの安物レンズで400万画素とか500万画素とかの撮影が可能なのだ。一昔前であれば、あんなハナクソ丸めたようなレンズに500万画素の受光素子なんかで撮るとそれはもう素人目にも分かるほど酷い画像で、使えたモンじゃなかった。昔の携帯電話やコンパクトデジカメが32万画素とかその程度だった理由の一つがそれだ。価格面もともかく、それ以上解像度を上げると写るのはもう被写体じゃなくてハナクソレンズのアラばかりで、シャレにもならなかったのだ。それが画像処理技術の向上でハナクソレンズの酷さをカバーできるようになったのである。ハナクソレンズが性能向上したわけではない。一昔前のデジカメの方がまだまともなレンズを載せていたりするが、最終的な画質としては今の方が上である。

こうなると、しこしこ真面目にレンズ作ってる人たちは「やってられるかアホンダラ」と投げ出してしまわないか人ごとながら心配してしまうのである。そしてこの心配は杞憂ではないだろう。間違いなく、次の世代に受け継がれる光学製造技術は一部にいいものが残ったとしても総体として今より質が下がる。世の常として、必要ない技術は衰えるからだ。

QV-10を作った人たちは後悔しているだろうか?
もし「俺たちは歴史に残るいい仕事をした」と思っているなら、私は一発しばきに行きたい。パンドラの箱を開けたのだ。せめて少しは後悔しろ。

まったくハードボイルドな世の中だ。

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コメント

私の不得意な専門的な内容ではあるけれど、あいかわらず面白すぎ。シロートの私が分かった気になってしまうじゃありませんか。さすが。

投稿: きりこマネージャー | 2006年4月23日 (日) 15:34

毎度どーもー。
マミヤの特定調停申請と光学事業の全面売却はけっこう衝撃だったんですよ私にも。
なんせ昨年末にMamiya ZDを発売した時は「CONTAXは最後コンパクトデジカメばかり何機種も出してお茶を濁した末に結局撤退に決めちゃうようなショボい終わり方じゃなくて、コレくらいのを出すべきだったんじゃないのかなあ」と思ってましたから。

マミヤ、テンパってたんでしょうね。
67RZとか名機多かったんですが。私も67RZ使ってた時期ありましたよ。

たぶんCONTAXがちょうどCONTAX 645で中判に殴り込んできた時くらいの時期が中判が一番活況だった時期ですね。

マミヤはプロ用のスタジオ用6×7、ロケ用の645があって、システムとかが出来上がっていた。オリンパスから引き抜いた技術者に作らせた望遠レンズが2,3あって、それがずば抜けた性能を出してた。標準レンズにF1,9を作ったのもマミヤ645こだわり。
6×4.5判一眼レフ用300mm F2.8や500mm F4.5なんてレンズを持っていたのはマミヤだけ。このレンズは、当時OMだったオリンパスの方針転換に憤ってスピンアウトしてきた、OMで白レンズ(OMでは特に高性能なレンズを白塗り鏡胴で売っていたためユーザーの間で高性能高価格レンズは「白レンズ」と呼ばれていた)を設計していた人たちが作った、がもっぱらの噂です。技術者の意地とか誇りが結構詰まってるメーカーだったんですよ、マミヤは。
他にも中判カメラメーカーはあったけど、マミヤみたいにここまで高性能レンズをガンガン開発してしまう異様な元気は他には無かった。マミヤは「漢」のメーカーでしたね。

最後になったZDも出来そのものはマミヤらしかったと私は思います。出るタイミングがあまりにアレだったんですけどね。

投稿: LIVESTRONG 9//26 | 2006年4月23日 (日) 23:38

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