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2006年5月 3日 (水)

Aerodynamics and Rider's Positions

自転車で一定時間に走れる総距離を競う場合、空気抵抗を無視して大過ないのは、ロードレースにしか出ない人間か、空気抵抗が問題にならないほど遅い人だ。

ヨーイドンで一斉スタートするロードレースの場合はレギュレーションの関係でやれることがほとんどないし、ぶっちゃけ話として平地でも35km/h以上を保っての連続走行ができない人間は空力をうんぬんしてもほとんど意味がなくて、そんな事に凝るより鍛える方が先。

当Blogでは何度か登場しているが、自転車はだいたい時速40km/hくらいになると走らせるのに必要な力の80%くらいが空気抵抗を相殺するための力で、50km/hになると90%にも達する。これはとりもなおさず空気抵抗が無いと仮定すると50km/hで走るときに必要な力は現行の10分の1で済んでしまう(!!!)事をも意味する。空気抵抗がいかにとんでもなく邪魔かが分かると思う。

ロードレースにおいて単独で逃げるよりもいいところまで集団で走っておいて最後で勝負に出た方が遙かに勝てる最大の理由もそれで、一人で空気抵抗を受けて走るのは自転車の高速走行において最もロスが大きい走り方なのと、ロードレースはタイム競技ではなく勝敗を競う競技だから途中の早い遅いはあまり意味がないからだ。UCIの公式レースなど、無用の着順競争による落車事故発生を防ぐため集団でゴールした場合は同一着順と認められるくらいだ。つまり表彰台以外は何着だろうとその他大勢扱いなのである。

これがタイムレースで走る場合、名前のまんまであるタイムトライアルであるとかトラック競技の多く、トライアスロン(暫く前からエリートクラスのショートでは集団走行がO.K.になってしまったが)では色々空気抵抗を減らす工夫を考えるわけだが、実際のところ自転車の空気抵抗の実に80%から90%くらいはライダーが生み出している(NIKE調べによると3分の2だそうだ。追記)。自転車自身の空気抵抗は思われているほど大したことはない。かつてシマノが物凄い金をかけて開発し思いっきりスベったエアロコンポも、後に続くものが出なかった原因はコンポ側で多少空力を良くしてもトータルでは微々たるものである点が大きい。つまり苦労の割に「意味ねーじゃん!」になってしまうのだ。なお、当時の経緯を知る人なら当然知っているように、シマノのエアロがスベったのは空力うんぬん以前にコンポとしての完成度がやたらと低かったのが最大原因で、実はエアロとは関係ない。この時のシマノの迷作DURA-ACE AXは後にArmstrongがタイムトライアルでリアブレーキキャリパーだけ使って地味な話題になったが、ブレーキキャリパーは意外と空気抵抗の原因になっているらしく、今でも装着位置の試行錯誤が行われているし、高性能エアロバーで知られるOVAL Conceptsなどはエアロブレーキキャリパーを発売したりしている。

空力と来れば、一番わかりやすい例はアワーレコードである。これはトラックを1人で1時間走りきって何m走れたかを競う極めて単純明快な競技で人生で最も過酷な1時間」と呼ばれるほどハードなものだ。何せアワーレコード挑戦とはとりもなおさず「世界記録更新チャレンジ」であり、そこらへんのちょっと腕に覚えあり程度が「俺も一発やってみっか」でやるものとはおよそかけ離れている。焦点は世界記録を更新できたか否かだけのシビアなものなので、更新できなかったら壮絶な努力をした末のスカとなってしまう。それゆえ歴代のアワーレコードホルダーには錚々たる面々が並んでいる。更新できそうな選手しか挑まないからだ。Eddy Merckxがそうだったし、Miguel Indurainもアワーレコードホルダーだった。Tony Romingerは、Le Tour de FranceでIndurainに挑み続け、しかし遂に破ることが出来なかった選手であり、Indurainのアワーレコードを破ることで「俺の方が実力は上だったのだ」と証明せんがためアワーレコードに挑んだ異色の経緯を持つ。Indurainはアワーレコードを2度更新しているが、何れも半年たたずにRomingerが破ってしまったのでアワーレコードホルダーとしては短命だった。これはLe Tour de Franceの場では遂にIndurainを破れなかったRomingerのせめてもの意地である。IndurainはIndurainで「Le Tour de Franceで活躍している選手が本気でアワーレコードに挑んだら更新出来るはずだ」と発言して挑むなど、寡黙極まりなかった彼としては大変珍しく、はっきり挑戦の意図を表明して挑んだアワーレコードだった。(そして本当に更新した)

走行そのものは1時間で終わってしまうアワーレコードだが、なかなか濃いドラマなのだ。

不滅かと思われていたMerckxのアワーレコードを、科学的に空力を考えたディスクホイールや前輪を小さくした「ファニーバイク」の導入によって破ったFrancesco Moserのセンセーショナルな勝利以降「平地を高速で走りたければ最後にして最大の鍵は空力」である事は自明の理となった。Merckxはそれまでのアワーレコードを達成するため実に5.7kg(以前「6kg」以下と書くつもりで間違って「5kg以下」と書いていたのを訂正。ロードマン氏の指摘に感謝)の特製レーサーを使用している。Merckxは軽量化信奉者で「軽い=速い」と考える人間だった。部品にボコボコに穴を開けまくるドリリングで知られる。またMerckx自体が現実に恐ろしく速かったので、世間的にも軽い=速いの時代は長く続いた。しかしこれはいかにも走ることが科学的でなかった時代の産物で、トラックつまり登りや下りがない均一な場所を走り続けるなら、自転車の軽い重いはたった一点、スタート時の慣性重量が重いか軽いかだけの有利不利でしかない(逆に普通の道を走るなら、一切の上り下りがない完全な平坦路など現実に99%あり得ないので重い軽いは決してバカに出来ない)ので、心血を注いで6kgを切るレーサーをMerckxのために作った工房の努力は、実のところ10m貢献(アワーレコードの場合は「1時間で何m」を競うので記録はタイムではなくメートルとなる)したかどうか怪しい。しかし当時は自転車があまり科学的でなかったのでただただ軽さを盲目的に追求していた。ところがMoserがMerckxの記録を破ったときに用いたレーサーは実に10kgを上回る、当時の常識で記録挑戦用として自滅行為に等しいヘビー級だった。まだカーボンディスクホイールが作れなかった時代で、ホイールはアルミのディスクホイール。ほとんど試作品のようなもので、確かホイール片輪だけで2kgを超えていたと記憶している。これはスタート時の加速で相当な不利が避けられないが、逆に考えてみればトラックを走る限り不利はスタート時点だけの事なので、実際にMoserは見事記録を更新する。そしてこの時Moserが事前のトレーニング及び実際の記録挑戦中に使用した、運動中の心拍数をモニタすることによって運動強度を最適化する考え方は今日に至るまで改良を加えられつつ使われ続けているなど、まさに歴史に残るセンセーショナルな勝利だった。日本でも中途半端に心拍数トレーニングに詳しい人間なら「AT値」のようなこの時用いられた用語を今でも使う人がいる(後の更に詳しい研究によって、この時指標として用いられた心拍数算出法は、この時たまたま結果が出ただけで算出法そのものとしては間違っていた事が明らかになっている。心拍数トレーニングについてもいずれ書く予定)。とにかく、これ以降アワーレコードは空力面からの研究がどんどん進み、Moserの記録もさほど時を必要とせず破られ、更新が何度も続く。

空気抵抗のほとんどを担うライダーの空気抵抗をいかにして減らすかの基礎研究は進化する。

定番化したのが「ダウンヒルポジション(DHポジション)」である。これはアルペンスキーのダウンヒル競技からヒントを得たもので名前の由来ともなっている(注:和製英語。基本的にイギリス語圏では「エアロポジション」等と呼ばれており「ダウンヒルポジション」は通じない)が、どうもアイスキャンデーやデッドボールに類する和製英語説が正解のようで、ほとんどの国では「エアロポジション」としか呼ばないらしい。とまれ、アルペンスキーのダウンヒル競技はワールドカップやオリンピックレベルとなると時速100km/hを軽く超える(最高速が130km/hを優に超えるコースもある)上に「漕ぐ」ことは出来ないので、一瞬の姿勢の乱れによって失ったスピードはその一瞬で終わりではなく、その後もずっと、スバリ書けばゴールに至るまで影響してしまう、豪快な見た目よりも遙かにSensitiveな競技である。繰り返すが漕ぐことが出来ない分だけ空気抵抗への対処が結果に及ぼすシビアさは自転車競技の比ではない。自転車競技の場合、野蛮な方法だがロス分を上回る出力で漕ぐことさえ出来れば解決してしまう(この例として、ArmstrongはTTの時に必ずしも最適なエアロポジションを採用しておらず、最適なエアロポジションを採用することによって呼吸の効率が低下し出力が下がることを嫌って若干の空気抵抗の増大を甘受していた事がArmstrongの個人コーチによって明かされている)からだ。
私はアルペンスキー出身の人間(私とではレベルが違いすぎて比較にもならないがLevi Leipheimerもスキーのアルペン競技出身である)なのでこのあたり少しだけ詳しいから豆知識的に書くと、ダウンヒルでこの格好を最初に始めたのは1960年の冬期オリンピックで金メダルを獲得したフランスのジャン・ビュアルネである。ビュアルネの勝利は最初のメタルスキーの勝利でもあるなど大変センセーショナルなものだった。「ビュアルネの卵」と呼ばれたクラウチングスタイルを考案したジャン・ビュアルネは大変な努力の人で、当時当代一流の天才スキーヤーとして押しも押されもせぬナンバーワンに君臨し1956年のオリンピック三冠も達成していたトニー・ザイラー相手に自分が同じように滑ってはおよそ勝ち目なしと自覚し、ザイラーに勝つための必殺技としてこのクラウチングポジションを編み出し、スタートからゴールまでクラウチングを保ち続けるためのハードな肉体的トレーニングに耐え、かつ他の選手に真似されないようにオリンピックまで極秘トレーニングを続けてその必殺技を温存。オリンピックの大舞台でいきなり使用する用意周到さで圧倒的勝利に結びつけた。誰にも真似できない「スプールな滑り」と激賞されたスキーの申し子ザイラーも「ビュアルネの卵」の前に全く歯が立たなかった。ザイラーは当時無敵の天才であったが、ゴールまでミスせずに滑りさえすれば勝てる稀代の天才であったが故にこのような工夫やエポックメーキングとは無縁であったのが皮肉である。それは自転車でエアロダイナミクスの道を拓いたのも心拍数トレーニングの道を拓いたのも当時最強の選手ではなかったのと似ている(前述のモゼールにしても、アワーレコード挑戦当時は既に選手としての峠を越えており、記録更新は不可能で挑戦は狂気の沙汰との下馬評が圧倒的多数を占める中で挑戦した)。

話を自転車に戻すと、このエアロバーを利用したエアロポジション、最初に自転車競技の公の場で使用したのはアメリカのプロチーム、セブン・イレブンであるとされている。チームタイムトライアルに使用し優勝した。それを同じアメリカのGreg LeMondが使用して1989年のLe Tour de Franceに世紀の大逆転勝利を遂げた事から一気に世界的流行となる。

Lemond240320

この時LeMondが最終日の個人タイムトライアルで54km/hを上回る驚異的平均時速54.545km/h記録した(最高時速ではない!)のはその後実に15年以上もLe Tour de Franceの個人タイムトライアル史上最高平均時速記録として残った(2005年Le Tour de Franceの第1ステージ個人タイムトライアルで優勝したDavid Zabriskieが54.676km/hでこの記録を破り、2秒差で続いたLance Armstrongもおそらく上回った。雑誌などでは今でもLeMondの記録が史上最高と掲載されることが多いが、距離からして2005年のLe Tour de FranceのTTはプロローグ扱いではなく「第1ステージ個人TT」として成立しており、Zabriskieが現レコードホルダーなのは間違いないと思われる。ロードマン氏の指摘に感謝して訂正させていただく)など、とにかく物凄い走りで「シャンゼリゼの奇跡」と呼ばれたほどのものだった。

一時のアワーレコード記録更新はほとんど「DHポジション」だった。

そこでスキーにおけるジャン・ビュアルネのように現れて有名になったのが「フライングスコット」「タイムトライアルの鬼才」と称されたスコットランド人Graeme Obreeである。トラック競技選手だった彼は稀代のアイデアマンで、当時「DHポジション最強」が常識として固まっていたなか、後に「オブリーポジション」(他に「オブリーポジションMark1」等とも呼ばれている)と名付けられる極めてユニークな姿勢を考え出し、それ専用の自転車も製作する。そしてこの何かの冗談としか思えないほどユニークな格好

Obree_orig

で1時間走り続け、本当にアワーレコードを更新してのけて世界を仰天させた。このObree Position専用自転車、よく見てもらえれば分かるが前輪が片持ちだったりして注目点だらけである。彼に付いて調べてみると分かるが、この大変ユニークな自転車は事実上Obreeの自作で、速度記録挑戦用の割に特殊な断面でないごく普通の丸パイプがあちこち使われているなど妙に素朴な部分が目に付くのは、彼が自分で作ったからである。物凄く変わったポジションと共に、BBベアリングに捨ててあったドラム式洗濯機のベアリングを使ったエピソードが有名だ。それゆえQファクターの狭さは尋常ではないし、時代を超先取りした物凄いメガサイズBBだ。Obreeは選手として優れていた上にアイデアマンで、更にイギリスにありがちなガレージエンジニアとしても図抜けた腕前の持ち主であった。天は彼に二物も三物も与えたようだ。このオブリーポジション、紛れもなく歴史的アイデア(実際いまも実物がその快挙を讃え博物館に展示されている)なのに記録達成後すぐその専用自転車と共にUCIから禁じ手とされてしまう。UCIは昔からろくな裁定をしたことがない。
クソUCIはともかく、ここでめげなかったのがObreeだ。彼は「ならば」とばかりに更に新しいポジションを考え出す。その見た目から後に「スーパーマンポジション」(の方が通りがよいが「オブリーポジションMark2」とも)と呼ばれることになるこのスタイル

Obree_pos

だ。Obreeはまたも自己製作したスーパーマンポジション用自転車で、自らがオブリーポジションで達成した幻の世界記録を塗り替える。Obree the great!まさに「不屈の闘志」を絵に描いたようなエピソードであると絶賛するほか無い。

そしてこのころ、奇しくも同じイギリスに現れたタイムトライアルの天才(個人タイムトライアルだけに限ったら、たぶん人類史上最高の天才)にしてLe Tour de Franceでもかなり暴れ回り「ミスター・プロローグ」と呼ばれたChris Boardmanが同時代に覇を競い合った。

Boardmanもスーパーマンポジションを導入し、Obreeが達成した幻の記録を塗り替えてアワーレコードを達成。しかしObreeはBoardmanの新アワーレコードを達成僅か4日後!にスーパーマンポジションで走って塗り替えるなど、あまりにも劇的な熱く激しいつばぜり合いを演じた。運命はこの時2人の天才を並び立たせたのだ。凄いドラマである。いや、ドラマでこんな筋書きをやったらウソくさすぎて鼻持ちならない。これはもはや運命のいたずらだけに許された超ドラマの世界だ。

1994年。アワーレコードが最も熱かった年である。

私の愛車LeMond V2 BOOMERANGもこの1994年の「空気抵抗を少しでも削って1mでも前に行く」熱気の中で生まれたのは大変面白い符合だと思っている。

Obreeがスーパーマンポジションで達成したアワーレコードも、この空前の“アワーレコードブーム”に乗って名乗りを上げた天才達(前述のRomingerやIndurain)によって破られ、最終的にはBoardmanが人類史上最速の漢として名をあげる。だが、その後UCIは自転車競技に関するルールを全面改定(自転車の形式規定の大幅追加や、特殊なエアロポジションの禁止など)すると同時に、この「後出しルール」に合致しない記録を一切ご破算にし、アワーレコードも記録をMerckxまで差し戻してしまう暴挙に出た。Merckxが記録を達成したときの姿と同じ自転車でない記録は公式記録として認めない事にしてしまったのである。
このUCIによるルール改定は全くの自滅行為で、選手たちが心血を注いで達成した記録を反故にする、偉大な挑戦の歴史に対してこれ以上不可能なくらい最大級の冒涜を行ったため、当然ながら多くの選手が「アホくさ!」と萎えてしまい、アワーレコードに挑戦する有力選手がほとんどゼロに近く激減。それまで「自転車選手最高の栄誉」と呼ばれて憚らなかったアワーレコード戴冠が、一気に「バカのやること」くらいに醒めた目で見られるようになった。Boardmanは最後の意地で新ルールに合致する自転車を使用して再度アワーレコードに挑戦。Merckxの記録をガチの同一条件で28年ぶりに更新して「自転車のお陰で出た記録ではない」事を証明してみせたが、その後アワーレコード挑戦は衰退の一途を辿り、Boardmanの記録はチェコのオンドジェイ・ソセンカによって1度破られただけで、有力選手(例えばArmstrongのような)による挑戦は行われていない。Greg LeMondも挑戦計画だけはあったが中止となった。人生を賭けて達成した記録も後出しでご破算にされる、とんでもない“実績”をUCIが作ってしまった以上は、やる気を出せと鼓舞する方がどうかしている。Boardmanが出した幻の記録の方は勿論そのままで、こちらの方は二度と破られない空前絶後の記録となる公算が極めて高い(この記録を破れるほどの天才が、公式記録として認められない“記録”に挑むとは思えない)。アワーレコード挑戦に1994年のような熱気が戻ることは二度と無いだろう。
しかし、人間の叡智と呼ぶにふさわしいObreeのアイデア、そしてObreeとBoardmanが演じた「史上最も速い男」の座を巡る熱い戦いと彼らの残した記録は老害バカ組織UCIがどれだけ頑張って盆踊りやったところで不滅だ。私は、オーバーな話ではなしに彼らが光り輝いた時代に生きたことを光栄だと思う。この素晴らしい物語もいずれ「俺の生まれる前の話」として語られる時代が来るのだ。

アワーレコード話はこのへんで終わるとして、普通の自転車の形態(と呼んでいいか微妙だが)を取る限り、最高の空力を達成するのはスーパーマンポジションと思われる。非常に明快で分かりやすい比較例としてObree自身がオブリーポジションとスーパーマンポジションの両方で走っているからだ。結果としてスーパーマンポジションの方が少し速かった(同じスーパーマンポジションで走られたBoardmanの最高記録には及ばなかったが)。アトランタオリンピックでもスーパーマンポジションで金メダルを戴冠した選手がいる。

ロードレースの個人タイムトライアルにおけるエアロポジションは現行レギュレーション上、いわゆる「DHポジション」が限界である。世界選手権ロード個人TTを連覇したFabian Cancellaraがスーパーマンポジションで個人TTを走らないのは、BB軸中心からハンドルの先端は75cm以内と定められているし、脇の角度は120度以上開いてはならないからだ。ルール上不可能なのである。この75cmルールと脇110度ルールはクソUCIのウソによると自転車を安全にするためらしいが、誰も信じちゃいない。スーパーマンポジション殺しルールとして有名だ。

では、そこで固まるのか?

否。

レギュレーション内ではあっても少しずつ改良されてきている。
最初の頃は、上に掲載したGreg LeMondのような感じだった。
前後異径タイヤの使用が禁止(気が付いていない人の為に書いておくと上の写真でLeMondが使っている自転車は前輪が後輪より小さい)され、こんな感じ

Ekimov

に落ち着いた時代が長く続いた。上のライダーはDiscoveryChannelのエキモフ。大変息の長いベテラン選手で同じチームだったLance Armstrongよりも年長なのにまだ現役(40歳でLe Tour de Franceを完走して引退。15年連続完走の最多タイ記録を作った)だが、Armstrongも頼りにしていたくらいタイムトライアルのスペシャリスト(オリンピックでもメダルを獲っている)である。この写真は2006年のものだが、エキモフのポジションは何年も変わっていない。いい意味でも悪い意味でも完成されたベテランだ。

ある意味硬直していたこのエアロポジションを変えてきたのは、Jan Ulrichあたりからだ。Ulrichは選手としての才能がなかったらただのデブ自転車オタクになっていたのではないかとする笑い話があるくらい、一流選手には珍しい、異様なまでに自転車自体に凝りまくる人間なのだが、凝り性であり、またトラック競技出身であるが故にポジションの研究等も大変熱心で、2003年のLe Tour de Franceに一風変わったエアロポジションを導入してきた時も話題になった。このとき個人タイムトライアルでArmstrongに1分以上の差を付けてはっきり勝ったのも大きかったと思う。

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エキモフに比べて腕が斜め下に伸びているのが分かるだろうか。当時「あれはなんだ」と結構話題になった。
その翌年のものだが、真横からなのでより分かりやすいのがコレ。

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スーパーマンポジションのキモである「腕をまっすぐに突き出すと空気抵抗は下がる」を現行レギュレーション内で可能な限り追求した結果らしい。現在、前述の通りUCIのレギュレーション上、ハンドルエクステンションの先端はBB軸中心から75cm以上前に出てはならない。プロのロードタイムトライアルで脇の角度がほとんどどの選手でも90度付近なのは、それが合理的だったり空力が良かったりするからではなく、ルール上それくらいの角度でないと違反だからだ。このあたりの因果関係を勘違いしてはいけない。そこでこの“前”に出せないルールの中で前ではなく斜め下に出してみたのだろう。そして腕が下がっているだけではなく、それまで脇は絞れば絞るほど良いと思われていたのが大胆にも膝より外に出ているなど、シロウト衆が「どこが違うの?」と思うより大きく変化したポジションである。このポジションに至るまでに風洞実験もやったようだ。なんせウルリッヒは昔からこのポジションだったわけではなくこのポジションに変えたのだから。

このポジション、最初は「Ulrichの少し風変わりなポジション」扱いだったが、個人タイムトライアルでArmstrongに勝ったことで俄然皆の目の色が変わり、風洞実験やってみたら効果があるようでその後真似する選手が出てきた。

なんせそのUlrichと激闘した末にLe Tour de Franceを7連覇したArmstrong自身、最後の方はだんだんUlrichに似ていった。

初期の頃のArmstrongのエアロポジション。エキモフとほとんど同じである。肘をはっきり曲げ、拳を前に突き出すような握りで、脇は絞り込み両膝よりも内側に入っているのが分かる。

Lance_armstrong

これが2005年Le Tour de France最後の個人タイムトライアルでは

Lance_armstrong_itt_tdef_2005_by_john_ch_1

こんな風になった。手がウルリッヒの格好にかなり近づいているのが分かると思う。手は親指がまっすぐ前を向くような向きとなり、以前は絞り込んでいた肘も膝の外側に出ている。TREKやArmstrongも風洞実験を積極的にやるので、風洞実験の結果としてこれが良いとなりフォームを改造したようだ。Ulrichのポジションは決して機材オタクの暴走ではなかったようだ。なおArmstrongはこの写真に写っている最後のタイムトライアルでステージ優勝した。

こんな手の格好こちょこちょ弄った程度で変わるんかと思うヤツは空気抵抗を知らん。

50km/h 連続走行は一般人には非現実的なので40km/h連続走行としても、ライダーの空気抵抗を15.6%減らすことに成功すれば40km/hを保つのに必要な 出力は10%ほども減少する。必要な出力が10%減ったらえらい違いなのは、パワー計測トレーニングをしている人間なら議論する必要すらない。たかが 10%と思うなら、出力を10%上げて1時間走ってみるがいい。1時間もたずに挫折することを保証する。

本気で速く走りたいと思っているなら、空力は真剣に検討する価値がある。エアロホイールの使用ももちろん効果はあるが、現実には人間の空気抵抗を減らした方が遙かに効果がある。が、空力の改良は個人レベルではとても難しい。よほどの凄い大金持ちでもないと個人で風洞実験など出来た物ではない(人間が自転車に乗ったまま入って空気抵抗を計測できるような仕組みのある風洞で風洞実験すると電気代だけで100万円を超えてしまう)が、残念なことにエアロポジションの効果は個人差が大きく、どれがその人物に最適のエアロポジションなのかは個別検証する必要があり、万人に「これが正しい」と出せる“方程式”はごくごく基本的なモノしか存在し得ないようだ。突き詰めた意味での最適な空力は、地道で膨大な検証を繰り返した末にしか分からない。かつてNIKEがArmstrongを勝たせるためのスキンスーツ開発(Project Swift)において膨大な時間と金を注ぎ込んだが、その成果も結局はArmstrongを勝たせるのに貢献したのであって、万人に通用する保証はない。

空力の追求はある一定の領域を超えたところから「捨てられるモノがどれだけ多いか勝負」になってくるところがある。最も捨てられる人間はいよいよ風洞実験をやる(アメリカでは実際に自転車乗り向けの「風洞実験ツアー」が存在する!)し、それが無理な人間でもアイデアがあり工夫と手間と労力を厭わなければ検証は全く不可能なわけではない。実際Obreeはその現役を通じて一度も風洞実験しなかった(できるほど裕福でなかった)のがObreeのユニークなエピソードの一つとして知られている。ゆえにあのポジションを考えたときも、速くなろうと考えすぎて遂に気が狂ったと思った人間の方が多かった筈だ。記録を達成するまでは99%くらいの声が賞賛ではなく嘲笑だった事は想像に難くない。もしObreeがアワーレコードを達成できずに終わっていたら世紀のバカ扱いだったことだろう。

「下手な考え休むに似たり」な“工夫”も、生まれては消えるだろう。

しかし、これからもイノベーションはきっと続く。

常識と記録の両方に挑戦して両方共打ち破ったObreeの神々しい姿はそれを今も教え続けている。

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コメント

メルクスのアワーレコードを記録したのは、コルナゴ製の5.7キロのトラックレーサーとコルナゴのホームページにありました。

1989年のグレッグ・レモンの記録は確か、平均時速54キロ台であり、昨年のツール・ド・フランス第一ステージ(距離の長さでプロローグではない)で、ザブリスキーに破られたと記憶してるのですが。

投稿: ロードマン | 2006年8月15日 (火) 16:42

ロードマンさん、貴重なご指摘ありがとうございました。
5kg以下は書き間違いです。また1989年にGreg LeMondが記録したのは54.545km/hで、仰るとおり2005年にDavid Zabriskieが54.676km/hを記録して破っていますね。またこの時2秒遅れとなったLance Armstrongにもたぶん上回られていることになります。

訂正させていただきました。

投稿: LIVESTRONG 9//26 | 2006年8月16日 (水) 12:18

素晴らしい。
私もモゼールの頃からアワーレコードを気にしていた人間ですが、脳みそがキレイに整理されました。
どのエピソードも鮮明に記憶に焼きついておりましたが、ロジック的には多少こんがらがっていたものですから・・・。
最近、前後輪の径が違うマシンを見ないと思っていましたが、レギュレーションのせいだったのですね。知るは一時の恥・・・。

投稿: naot@blog | 2007年11月16日 (金) 20:41

初めまして。
そのオブリーですが、映画化されたようですね。
http://www.mgm.com/sites/theflyingscotsman/
予告編を見ただけでも興奮してくる自分は単純なのか、自転車馬鹿なのか・・・

投稿: craftman | 2008年2月 1日 (金) 18:28

この映画に関しては当Blogでもその後取り上げておりますのでよろしければご一読下さい。
http://9-26.way-nifty.com/livestrong/2007/09/flying_scot.html

投稿: LIVESTRONG 9//26 | 2008年2月 1日 (金) 18:40

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