昔々、遙か銀河の片隅で…
土砂降りの雨なのでStar Warsのepisode I〜IIIを見直した。
episode I〜VIまでの全作、何回観た事やら。
特撮だけでストーリーがないとか色々批判もあるだろうけど、Star Warsが売れたお陰でそれまでガキ向け扱いされていたSFなんぞに予算が付くようになったのだ。SFはStar Warsに足向けて寝られないよ。
- SFXの技術はCGのお陰で感慨深いまでに進化している。
- 人物設定がステレオタイプに過ぎる。特に、一番大事な筈のアナキン・スカイウォーカーがあまりに単細胞で酷い。あれじゃそのへんのチンピラではないか。確かにアナキンの設定は難しいとは思うんだけどね。どう頑張ったところで最終的に映画史上有名悪役ベスト3に入るに違いないダース・ベイダーにしなければならないのだから。逆にオビ=ワン・ケノーヴィは、名優サー・アレック・ギネスの演じた初代(?)のイメージを壊さないように細心の注意を払ったのが幸いしてまだましだったように思う。エピソードIVでダントツにキャラ立ってたのはオビ=ワンだからな。
- 結局一番魅力的なキャラクターはIでサックリ死んでしまうクワイ=ガン・ジンだったねえ。次がマスターヨーダかしらん。
- IIIでジャージャー・ビンクスが登場わずか1シーン、台詞に至っては1つもないとはどうしたことだ。Iなんか明らかに喋りすぎだったのに。
- シリーズ全作を通して、緑色のライトセーバーを使うのは3人。クワイ=ガン、マスターヨーダ、そしてVIのルーク。クワイ=ガンのライトセーバーを緑色にしたのは、アナキンに託し、しかし叶わなかった彼の願いをVIでルークが叶えたことを暗に示しているのだろう。このへんの細かいところは色々よく考えてある。
- IIIのラスト、タトゥーインの連星夕日はお約束な感じだがこのあたりも細かいところがうまいなと思った。エピソードIVの名シーンを思い出す。思い出させるためにやってんだろうけど。
シリーズ全作に共通することとしては、細かいディティールの作り込みがうまく、筋そのものはまぬけ。
たとえば例のライトセーバーで光線銃を受けてしまうジェダイあのあまりにも有名になった手品を「フォースを操るものには少しだけ未来が見える」事によって理屈づけてしまった細かい設定は凄くうまいと思う。Star Warsの世界じゃあれは銃撃に反応しているのではなくて、フォースによって少しだけ未来が感じられるからタマ(じゃないけど)が来るところを予め待っている理屈になっている。普通この手のネタはよく考えずに反射神経が凄いことにしてしまう。そして「んなワケあるかい」と観てる人間がみんなツッコミ入れる。光線銃が実用化されている設定の世界で剣振り回してるアナクロな連中が恐れられているのは、時々使うサイコキネシスもともかく予知能力があるからだ。戦闘に於いて相手がどんな攻撃に出るか予め分かる人間がいるとすればそりゃもうむちゃくちゃに強くなるのは説明の必要がない。
Star
Warsそのものの詳細な研究は今更私がやらなくても熱狂的なファンサイトで飽きるほどやられているだろうからそちらに任せるとする。小惑星帯を飛ぶ
シーンでよく見るとジャガイモが飛んでいる事に象徴されるような「常に笑いを忘れない」センスも持ち合わせていたりするあたり、愛され続けている原因の一
つだろう。
個人的には、共和国軍の名も無き兵士達が凄く羨ましい。彼らは普通の人なのに、世界を変える英雄(ルーク)と共に戦い死んで行けるのだ。これは凄い人生だ。現実の地球で戦争と来れば、難癖つけてよその国に勝手に出かけていって爆弾しこたま落として虐殺に次ぐ虐殺をかましてみたり子供やお婆さんまで道歩いてるだけで狙撃して血祭りに上げたり、ゲリラが隠れてるかもしれんとか抜かして普通の村人を全員蜂の巣にしたり、そんなもんだ。あんな絵に描いて額に飾れるような大義の為に死ねる人生なんてそうはない。いやもう、ダース・シディアス様々じゃないか!あれほどすんげえ、顔からしてもう思いっきり邪悪などこから見ても悪の親玉の見本みたいな悪玉など、頼んでも出てこないぞ。普通、人生はもっと普通でどうってことないのだ。それが良さでもある。普通の人生はつまらないと思っているのはガキの証拠。ヴェルレーヌの「選ばれて在ることの恍惚と不安と二つ我にあり」は至言である。
今日の教訓。
シスの皆さん。制服は難燃性素材で作りましょう。
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