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2006年6月16日 (金)

3大グランツール

3大グランツールと、プロツアーロードレースのシステムについて。

自転車レース界には現在3大グランツールと呼ばれるレースがある。

1年の開催順に書くと

  1. Giro d'Italia ジロ・デ・イタリア
  2. Le Tour de France ツール・ド・フランス
  3. Vuelta a Espana ブエルタ・ア・エスパーニャ

となる。観客動員数や運営規模から見るとダントツ1位がツール・ド・フランスで、ちょっと差が付いたところでジロ・デ・イタリア。そこから更に大きな差が付いてブエルタ・ア・エスパーニャとなる。自転車ファンでもブエルタまで知っている人間はかなりの自転車レース観戦好きで、単にMajor Leagueが好き程度と、全部の地区をソラで口に出来る人間くらいの差だ。クラシックレースまで知っている人となると、いよいよ投手の去年の勝敗数であるとか何の賞をいつ獲ったまで覚えているクラスだろう。

自転車ロードレース界で時々出るキーワード「ダブルツール」「ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスを同一年に制覇すること」を指した言葉で、ブエルタは含まれない。またプロロードレーサーとして最強の証明ともされる「トリプルクラウン」「ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、世界選手権ロードレースを同一年に制覇すること」で、決して「ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスとブエルタ・ア・エスパーニャを同一年に制覇すること」ではないのがブエルタの扱いを象徴している。

ツール・ド・フランスの扱いが別格なのはあまり説明の必要がない。毎年7月の頭にスタートし、だいたい3週間21ステージで争われるステージレース。もともとは新聞の販促イベントとしてスタートした歴史を持つが、今では遠く離れた極東の日本の新聞でさえその年のツール・ド・フランスで誰が総合優勝したかを「世界最大の自転車レース」のお約束文句付きで報じる。ジロ・デ・イタリアやブエルタの総合優勝が日本の新聞に載ったのは見た覚えがない。これはツールの主催者であるASOがうまくオーガナイズしているのが大きい。ASOは他に「北の地獄」「クラシックの女王」の異名を持つパリ〜ルーベや、パリ〜ニース、クリテリウム・ドーフィネなど多くの有名レースを主催しており、レースを盛り上げるオーガナイズ能力は抜きん出ている。個人的には商業主義の取り入れ方のさじ加減がうまいように思う。余談だが、有名なParis-DakarラリーもASOが主催している。そんなツール・ド・フランスだが歴史が長いだけにヘンテコリンな歴史も持っており、昔はトンデモレース一歩手前だったと評しても過言ではない。例えば

  1. 変速機の使用禁止
  2. スタートの時に持っていたものは、着ていた下着の1枚に至るまでゴール時も持っていなければならない
  3. 途中で自転車が故障した場合、一切誰の力も借りずに全部自分で直さないと失格

などなど。
変速機使用禁止は相当にしつこくて、選手達がいい加減にしろと運営へブーイングを上げてもなかなか改正されなかった。自分で直さないとダメルールも凄くて、レース途中でフロントフォークが折れてしまった選手が近くの鍛冶屋を探し歩いた挙げ句、鍛冶場を借りてトンカンとフォークを直して再び走り出した有名なエピソードまである。しかもこの時、鍛冶屋で修理した事が「手を貸した」に当たるかどうかでもめたので余計ツール史上に残るエピソードとなった。なんとあほくさいことでもめているのだと仰天するのだが、当時はそれで大マジメだったのである(実際、これは最終的に「手を貸りた」と判定されペナルティが課せられた!)。なお、今や自転車レースに詳しい人間にとっては当たり前すぎて自転車レース観戦初心者向け解説の鉄板ネタと化したアシスト選手による“引き”だが、昔の ツールではトライアスロン(アイアンマンディスタンスの場合)よろしく他人を風除けに使うのはルールにより禁止されておりペナルティ対象だった事も忘れられがちな面白いルール 変遷史の一つであろう。レースを知ったかぶりで解説できる人でも、創生期のツールでは他人の後ろに付いてドラフティングしたらルール違反で、見つかったらペナルティタイムを喰らった事まで知っている人はほとんど居るまい。変速機禁止もそうだが、昔のツールは「小細工禁止、作戦禁止、真っ正面からガチ勝負だけして勝て」が異常に徹底していたのだ。

国別対抗だった時代もある(この頃はフランスの黄金時代だった)が、最終的に現在の「国籍を問わないチーム同士が、個人総合優勝の争奪戦をする」形式に落ち着いている。総合成績トップの選手が着るのがイエロージャージとしても知られるMaillot Jauneで、これは自転車競技をほとんど知らない人でも「1番の選手が黄色いシャツを着る」事を知っていたりするくらい有名。他にスプリントポイント最多得点の人間が着るMaillot Vert、山岳ポイント最多得点の人間が着るMaillot Blanc a Pois Rouge(Maillot a Pois Rougeとも呼ばれる事もある)、25歳以下に限った総合成績トップの選手が着るMaillot Blancがある。Maillot Jauneは単純に総合タイム最短の選手が着るから分かりやすいが、Maillot Vertなどは1回もステージ優勝していないのに獲得したりと不可思議な獲得方法があり得る(現実に何回も起きている)ので、正直素人には理解不能なジャージだと思う。Maillot Blancはよく「新人賞」と日本語表記されるが、25歳以下なら出走が3回目だろうと5回目(今では25歳以下で5回目の出走選手なんてちょっと考えられないが)だろうと受賞できるので一般的イメージの「新人賞」とは少し違う。「若者賞」に近い。

「ツール」の伝説的逸話や名選手を知りたい人は「ツール100話」「ツール 伝説の峠」の2冊がとても良い内容で文句なしお薦め。

ジロ・デ・イタリアは、歴史的に見ればツール・ド・フランスと比肩して何ら遜色ないビッグレースである。開催期間・規模ほぼ同じで、ステージ数は往々にしてジロの方が多い。初開催も1909年で10年ほどしか違わない。主催者はRCSスポルトで、新聞を発行しているグループが関わっている点でもツールドフランスそっくりである。ツール・ド・フランスの方が段違いに有名になった理由は、多分にツール・ド・フランスの方がコマーシャルがうまかったからで、選手レベルで見ればツール・ド・フランスをバカにしてほとんど出走していない「歴史に残る大レーサー」がけっこう居るくらいレベルが高い。イタリア人自転車選手として史上最も偉大なチャンプとされ「カンピオニッシモ」の尊称で呼ばれるファウスト・コッピもツール出場に熱心でなかった一人だ。私の記憶が確かならコッピはそもツール出走回数自体がわずか3回の筈で、その3回で2回総合優勝している。実力的には5回か6回総合優勝しても不思議ではないほどの大選手だったが、3回しか出走していないので当然大記録は無理である。もっとも逆も真なりで、ジロ・デ・イタリアに出なかった名選手も当然いる。総合成績トップの人間が着るのがマリア・ローザ。ピンク色のジャージだ。由来は主催者が発行する新聞ガゼッタ誌の紙面がピンク色の紙だから。昔は総合最下位の選手が着る黒ジャージ「マリア・ネッロ(ネッラ?)」もあったが、着る選手が笑いものになって可哀想だ(もっとも、これはもともと最下位選手を笑いものにすることで奮起を促したのが作られた理由のようだが)との理由で廃止になり今はない(最下位はゼッケンが黒いのがその名残)。イタリアンブランドのトップ3に入るPINARELLOの起業社長ジョバンニ・ピナレッロはかつてジロ・デ・イタリアに出走し、このマリア・ネッロを着た(着る羽目になった)ことがあるのは、ピナレロのコアなファンならよく知っているエピソードのようだ。なお、これはただ着ただけでなく「マリア・ネッロを着た最後の選手」でもある。翌年廃止になったからだ。ツール・ド・フランスに比べて土着色が強く、ツール・ド・フランスが世界最高峰のレースを開催しようとしているのに対し、ジロ・デ・イタリアはイタリア最高峰のレースとしての趣がやや強い。お国柄なのか最終日のお祭り騒ぎ度は3大グランツールの中でも飛び抜けており、必ず何かやる選手が出る。2007年から新人王ジャージが復活し、ツール・ド・フランスと同じ4賞(総合、スプリントポイント、山岳ポイント、25歳以下総合)体制となった。

ツールと違ってジロは日本語の資料がほとんどなかったのだが、世界に誇れる内容(冗談抜きで)の「Giro d'Italia 峠と歴史」が2009年4月に出版された。

ブエルタ・ア・エスパーニャが毎年最後に開催されるグランツール。今でこそ3大グランツール扱いのブエルタだが歴史は浅く1935年に第一回が開催されたレースで、100年を超える歴史を持つツール・ド・フランスあたりとは差がある。運営も財政難でコケかけたりとかけっこう綱渡り。以前に書いたようにツール・ド・スイスよりも格下扱いだったりした時期があったのは不思議なことではない。ツールやジロに比べて1ステージの距離が比較的短い(たいてい200km以下)ため平均スピードが上がりがちであることと、山が多いので山岳を得意とする選手が有利になる特徴がある。またブエルタは眼中に入れない有力選手・チームが多く、そのせいか歴代優勝者の顔ぶれもなんだか聞いたこと無い選手が並んでいたりする。ジロやツールで予想外に不振だったチームがシーズン最後に目立つため勝ちに来るパターンもちょくちょく見られ、Operacion Puertoの影響で2006年のツール・ド・フランスから除外されてしまったアスタナ・ウルトがその典型的なパターンで、エースのAleksandr Vinokourovが本人初・アジア人初のグランツール総合優勝を飾った。山ステージが多いブエルタでは山岳ステージのスペシャリストが山ステージでのリードで逃げ切って総合優勝しがちだ。ドーピングで歴史に名を残してしまったRoberto Herasが、ツール・ド・フランスではボコボコの成績しか残せなかったのにブエルタでは4回勝てた(公式には4回目は剥奪)のもブエルタらしい。以前は春開催だったが現在は3番目の“一年を締めくくるグランツール”の位置に納まった。ただ、世界選手権の開催直前であるため世界選手権狙いの有力選手は出走しないか出走しても途中リタイアしたりする。リーダージャージは「マイヨ・オロ」見た目は黄色のジャージだが正式には金のジャージ。このため、リーダーが最終日凱旋時に派手な金色をあしらったスペシャルバイクに搭乗するのが流行りになっていた。が、2010年から赤ジャージ「マイヨ・ロホ」へ変更となった。

スペイン語はVを発音しないそうで、Vuelta a Espanaを「ブエルタ」と呼んで(読んで)いるのはULTRAをウルトラと読むくらい間違っているらしい。

プロツアーロードレースについてだが、UCIが主催する世界規模のロードレースシステムで、ツール・ド・フランスの項で書いたように「国籍を問わないチーム同士が、個人優勝(総合優勝)の争奪戦をする」のが現在動いている方式。チームは体制や財政規模などに応じてプロツアーチーム、プロコンチネンタルチーム等クラス分けされており、やる気と選手さえ揃えばどのレースにも出られるわけではない。逆に様々な要因でかなりビッグな選手がプロツアーチームではなくプロコンチネンタルチームに在籍する事もある。

チームはDiscoveryChannelであるとかQUICK・STEPであるとかT・Mobileのようにスポンサーの名前が付くことが多い(そうでない例はあまり聞かない)し、メンバーが同じでもスポンサーが変わることでチーム名が変わることが良くある。例えばDiscoveryChannelは2004年まで「U.S. Postal」だった。チーム運営会社そのものは、あまり名前が出ないがTailwind Sportsである。QUICK・STEPは昔のMAPEIである。MAPEIがMAPEI QUICK・STEPになってQUICK・STEPになっている。T・Mobileも昔はドイッチェテレコムだった。同じ名前のチームが10年15年と続くことは珍しく、チーム名の入れ替わりは激しい。比較的長続きした例としてはTelecom>T・Mobileだが、2007年のT・Mobile撤退でTeam HighRoadとなった。かつてブイブイいわせたチームであるONCEやミゲル・インドゥラインを擁して勝ちまくったBanestoも今はない。全般的にスペインのチームは財政基盤が弱い傾向があり、チーム名がコロコロ変わったりチームが吸収合併されたりすることがよくある。またスポンサー変更がらみの詐欺であるとかも時々発生し、2005年で解散したファッサボルトロなどはスポンサーを降りたファッサボルトロの後を継いでチームをそのまま存続させてくれるスポンサーを監督がかなり捜してまわり、一時はソニーエリクソンとしてチームまるごと存続できる話が持ち上がったが、話を持ってきたコーディネーターが途中でドロンし話もウソだった事が分かって無念の登録期限切れチーム解散となってしまった。

チームとしての順位も一応存在するがほとんど誰も見ておらず、結局は「誰が勝ったか」こそが最もアピールするのが現実。このためチームはエースを指名しエースを勝たせるために他の選手をアシストとして働かせるのが普通。アシストはエースの前を引いて風除けになり、アタックをかけて敵チームの戦略攪乱を試みたり、逃げグループに入り込んでペースを上げたり下げたりわざと先頭引きをサボタージュしたりと色々な戦略上のコマとなるほか、監督車からボトルや食べ物を運んだり、果ては機材故障時の非常手段として自分の自転車を提供する事もあり、まさにエースを“アシスト”する。レース内容や展開に応じてエース以外の選手を勝ちに行かせる事もあるが、そのあたりは監督の出すチームオーダー次第。

強力なアシスト選手がいれば他のチームの動きを攪乱したりできるが、逆にエースとアシストで力の差があるとレース中盤でアシスト陣がすっかり脱落してしまいエースが孤立無援になることもある。他のチームならエースとして通用するほど強力なアシストを揃えていた事で知られたUSポスタル(ディスカバリーチャネル)でさえ、アシスト選手が全員息切れして脱落してしまいアームストロングを孤立無援にしてしまった事が何度もある。こうなると補給のボトル1個手に入れるのにさえ支障を来す。優秀なアシストのいる/いないで戦いの有利不利はかなり変化するから強力なチームとそうでないチームはそれなりに差が出るが、2005年まであれほど強かったディスカバリーチャネルが2006年はツール・ド・フランスで順位1桁に1人送り込む事すらできなかった(パオロ・サヴォルデッリがレース終了後にホテルへ向かう途中観客と接触・落車して怪我、翌日リタイアするなど不運も重なったが)ようにチーム力だけで勝てるわけでもないし、アシストもなまじ強力であればあるほど強いチームでずっとアシストをやらされているよりも自分をエースとして扱ってくれるチームを求めて移籍するパターンがよくある。PHONAKのエースで2006年のツール・ド・フランスで総合優勝(その後ドーピング陽性と判定され優勝剥奪)したフロイド・ランディスは、かつてUSポスタルでランス・アームストロングのアシストとして走っていた。QUICK・STEPのエースであるトム・ボーネンも元USポスタル在籍組である。2006年悲運の選手となってしまったアスタナ・ウルトのアレクサンドル・ヴィノクロフも、T・Mobileからエースとしての扱いを求めて移籍したクチだ。ヴィノクロフはT・Mobileに移籍する時「エース扱いされることはない」との契約を結んでいたが、2005年はステージ優勝するなど明らかにエースのヤン・ウルリッヒ(ステージ優勝ゼロ)よりも見せ場を作った。それでも契約通りアシストとして走らされ続けた。このように実力以前に「お前はパシリ」契約を結ばされる事は珍しくない。やっとエースとしての扱いを得られるチームに移籍しツール・ド・フランス総合優勝を目指していたヴィノクロフだが、そのヴィノクロフをエースとして引き抜いたサイス監督にドーピング嫌疑が掛かり逮捕される騒動に巻き込まれ、本人と無関係にチーム自体がツール・ド・フランスへの出走を拒否される悲劇となった。

先のチームオーダー話ではないがチームによってどのレースに力を入れるかは微妙に異なり、1日で終わるワンデーレースに力を入れるチーム(典型的なのがQUICK・STEP)や、ワンデーレースをそれほど重視せずあくまでツール・ド・フランスなどのステージレースに傾注するチーム(典型的なのがDiscoveryChannel)など大局的な戦略の違いもある。「クラシックレース」と呼ばれ歴史も格式もあり多くの観客を熱狂させるワンデーレース(前出パリ〜ルーベなどが典型例)も多く存在し、クラシックばかりを勝ちに行く「クラシックハンター」と呼ばれるような選手もいる。オリンピックも世界選手権もワンデーだ。レースの数から行くとステージレースの方が遙かに少なく、特殊なレース形式とも呼べる。

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コメント

はじめまして。岐阜でシコシコ自転車復帰のためのトレーニングに励んでいる Mantis といいます。

10年以上前のド鉄の Tommasini を再び引っ張り出し、整備を始めています。当時のアウター53のチェーンリングなんて今ではもう踏めないのですけど、そのとき出会った「止まりかけた時計は、こいつの車輪と共に回った。」という言葉に感銘を受けました。

さて本題。スペイン語で "V" はちゃんと発音します。ただ、発音が "B" と全く同じになります。だから、たまに見かける 「ヴェルタ」 という言い方は間違いということになりますね。「ブエルタ」は、まあ正しい発音だと思いますよ。スペイン語で語頭の "B" または "V" は、唇を合わせずに発音するので、ほんとうは「ウェルタ」の方が近いのですが。

母音に挟まれた "B" または "V" も同じですので、現地の人の発音を聞くと、 "Cuba" は「クーワ」に聞こえます。

投稿: Mantis | 2006年6月16日 (金) 01:07

はじめまして。
これからもよろしくお願いします。

何かが原因で止まってしまったままになっていたロードレーサーを引っ張り出して、今ふたたびその車に火を入れて走り出さなければならない時を迎えている人を私は歓迎します。

ブエルタに関して私が聞いた話も「ブエルタ」ではなくて「ウエルタ」が近いとするものでした。

投稿: LIVESTRONG 9//26 | 2006年6月16日 (金) 01:41

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