「本の人」ボルヘス
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(本の人)
と入っているのを見て「もしかして、あれか?」と思った人はボルヘスを知っている。
南米文学の雄、ホルヘ・ルイス・ボルヘス。
プロフィールのところにも名前が出てくるので、気が付いた人は既に確信していた事だろう。
今更表明するまでもないが、私はボルヘスのファンだ。しかもかなり熱狂的である。刊行された本はほとんど持っていて全部読んでいる。
「ドン・キホーテ」の著者、ピエール・メナール
であるとか、後に「薔薇の名前」でリスペクトされた事からも取り上げられた
バベルの図書館
また
記憶の人フネス
エル・アレフ(不死の人)
円環の廃墟
トレーン、ウクバール、オルビス・ティルティウス
バビロンの籤(くじ)
などは読んでいて痺れた。
ちなみに「『ドン・キホーテ』の…」では「ドン・キホーテ」の著者はセルバンテス(ミゲル・デ・セルバンテス)では?と思う人が居ると思うが、その通りだ。この不思議な題名の小説「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」は、
「ドン・キホーテ」とは、20世紀の小説家ピエール・メナールが、セルバンテスになりきって書いた未完の小説の一部
とブチ上げる非常にシュールな作品だ。メナールは「セルバンテス」に完全になりきる事で、
完璧な「ドン・キホーテ」部分を含む小説
を書くことに成功する。が、ドン・キホーテ部分を書いたところで未完に終わる。このため小説「ドン・キホーテ」にしか見えない未完の小説が生まれてしまう。そんな話だ。
説明されても訳が分からない人が多いと思う。ボルヘスの作品は、読んでいると脳味噌が鼻から出てきそうになる内容が多い。ボルヘスの作品は、人が当たり前のジョーシキだと思いこむことで自分の平衡を保っているような事柄に対して揺さぶりをかけてくるからだ。「トレーン、ウクバール、オルビス・ティルティウス」あたりも相当に濃い。「円環の廃墟」は、かの有名な「胡蝶の夢」のボルヘス的解釈だろう。
「バベルの図書館」原題La biblioteca de Babelでは「文字と記号の、ありとあらゆる組み合わせを全て網羅した無限の図書館」が登場(内容とは全く無関係だが、数学的にはこの「文字と記号のありとあらゆる組み合わせの網羅」は不可能である事が証明可能らしい)する。6角形の塔状の図書館には果てや始まりがあるのか、司書達も知らない。彼らはこの図書館で生まれ図書館で死んでゆく。あらゆる文字の組み合わせの全てを網羅しているので、当然ながら全く意味のない羅列しか記載されていない本も膨大な数存在する。図書館では歴史的にかつて焚書が行われたりもしたが、あらゆる組み合わせを網羅しているため故意に破棄された本とたった1字違いの本もどこかに存在するに違いなく、焚書に意味はないと主人公(として語る作者ボルヘスだが)は語る。図書館の司書たちの間では「全ての本の完全な要約」の存在が伝説的に語られ、その完全な要約を読んで神に近い存在となった「本の人」がかつて存在したとされている。主人公は、生涯を完全な要約の探索に捧げ、果たせず、もうすぐ訪れる死を待つ一人の司書だ。
全ての文字の組み合わせを網羅している(ただし確証はなく、経験的にそう語られているだけだが)ので、例の「完全な要約」も、「完全な要約の1字違い」であるとか「完全な要約の2字違い」であるとか「完全な要約の題名1字違い」であるとかの「完全な要約と事実上同内容の本」がほとんど無数に存在する筈なのだが、伝説の「本の人」以外にその完全な要約に辿り着いたものはいないのだ。なお「本の人」はイエス若しくはムハマンドの一種のパロディだろう。
「薔薇の名前」に出てくる図書館そして盲目の司書ホルヘはもちろんホルヘ・ルイス・ボルヘスへのリスペクトだ。ボルヘスはアルゼンチン国立図書館の司書(長)であり、盲目だ。またエコがこの“美味しい”作品群を放っておく筈がない。
ボルヘスの小説は眩惑的な内容であり誰にでも向く万人向けの小説とは思わないが、私は大好きだ。
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