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2009年5月17日 (日)

選択肢

私事ながら(と改めて書くまでもないほど個人のBlogなど根本的に私事の垂れ流しだと思っているけど)ワタクシ2009年は「乗鞍」に当選したので、開催日が同じ「シマノ鈴鹿」への参加は今年もありません。

このBlogで前に書いたように乗鞍に落選したらシマノ鈴鹿に出る気でいたけど。

仮に2008年当選していたとしても当落発表後1ヶ月もしない5月末には足首をヤッてしまったわけで、当選していたとしても出走すら出来なかっただろう。その意味では2008年当選しなかったのは良かったのかも知れない。今や全日本マウンテンサイクリングin乗鞍は山好きにとってメッカと化したようだし、エントリーだけして出走すらしなかった、じゃあ本当に走りたくてその準備もキチンとしていた人に申し訳ない。で、今年こそオレもカーバ神殿巡ってくるか!?と。

準備期間はおよそ十分じゃない。それこそ気分的には「来年の夏まで準備期間をください」と目が点なお願いをしたい。トレーニング強度の制限を本当に外したのは実に2009年4月から。それでも、1年経つのに時折ピリッと来る感触はまだ消えていないなど、もはや「完治」はなさげな雰囲気がしている。休ませ方が中途半端だったのかも知れない。でも本当に完治するのを待っていたらオジサンで済まずオジイサンになってしまう(そうしても案外「結局あんまり治らんかったな」とかね。笑)かも知れないので、痛いとか痒いとかは走行不能にならないぶんには一端横に置いてヤルしかない。速かったとか遅かったとか抜きに「オレは全力を出し切った」と思えるほど手足が思い通りに動くうちに全力で走ってみないと、感じられることが違う。

なにをやっても「ああ、やっぱりトシだな(笑)」しか感想が出なくなってからも、チャレンジする。

そのチャレンジそのものは何ら無価値ではないどころかそのようなトシになってもチャレンジする精神はむしろ高潔ですらあると思う。それはそれで「それでも今のオレの精一杯は尽くした」と思えるだろう。でもそれはトシを換算せずにできるチャレンジと、同じキモチにはならない。

18歳からの1年間が凄く貴重なのとは全く違う意味と重さにおいて、38歳の1年間も凄く貴重なのだ。

若いと評価するには逆立ちしても無理がある。一度落ちた運動能力はなかなか戻らない。疲労回復力で若い頃とまるで違う。来年も再来年もあるとか思ってたら、その甘っちょろい見込みのツケを高い利子付きで払わなければならない。20代の時はあたり前にできていた「ヘバるまで運動した翌日もまたヘバるまで運動する」ことができない。ヘバるまでやると翌日は疲労がはっきり残るようになったから、そんな状態で高強度のトレーニングを再度やっても「ほとんど意味はない」どころでは済まず「やることでむしろマイナス」だ。毎日ガンガンやるのがキモチ以前に肉体的に無理になってきている。「どうやってうまく疲労を抜いて、トレーニングにフレッシュな状態で挑むか」を真剣に考え努力しないと、ちっとも実の上がらない「自分で“頑張ってるオレって素敵”と思い込むための、時間と労力の無意味な浪費」をやらかしてしまう。若い人なら「あの時のオレってバカだったなあ。自己満のために闇雲に突進してただけじゃん」で済むが、オジサンはそうは行かないのである。やり直しきかねえし(笑)

みな、自分に与えられた条件の中で頑張っている。それが外面的にはどんなに恵まれている人のように見えても、人間は誰一人として己をやめることはできず、自分である枠から出る唯一の方法が死だ。 努力を重ねて成功し億円単位の年収を得て豪華な家に住んでいたとしても、その人が本当に渇望した夢がF1ドライバーだったとしたら、社会的な評価としては 功成り名を遂げた成功者なのに心の中では叶わなかった見果てぬ夢を引きずる事になる。外面的にどうかと、その人がどう感じているかは全く別のものなのだ。 人は自分の意思で己の髪の毛一本増やすこともできないのだ。いまある己を使ってどう頑張るか、の自由しかない。どんな事であろうと己の肉体でチャレンジし なければならない。取り巻く環境は当人の本気度次第でかなり変えられないこともないけど、脚を取っ替えたり腰を取っ替えたり背を伸ばしたりするわけにはい かない。50年後の医療じゃウデとかアシを完全な故障ひとつないモノ、それこそ自分の細胞から再生した「完全な自分の脚」であるとかと取っ替える技術が確 立されてるかもわからないが、それは未来の人が受けられる恩恵の話であってワタシの人生とは関係がなさそうだ。

18歳のチャレンジ、28歳のチャレンジ、38歳のチャレンジ、48歳のチャレンジ、58歳のチャレンジ…。

全部ちがう。どれが上とか下じゃない、別のものなのだ。それはそれぞれその時にしか得ることは出来ない何かを得られたり、逃したりする。いつも運動会はその日限り。明日はないのだ。たぶん、来年も運動会はあるだろう。だがそれはもう違う運動会だ。今日の運動会の為に全部犠牲にしてしまうのはちょっと病的な発想だろうし、次の高みへと積み上げてゆく事ができない、頑張っているのに、いやヘンに頑張りすぎているからこそ積み上がらない生き方になる。運動会は来年もあるのにだ。だが、来年もあるからと頑張らない人間には来年も決して頑張れない。来年と期限を切れば頑張れるなら、今年も既に期限を切って頑張れているハズ。頑張れない己を適当な修辞で誤魔化しているだけなのだ。問題を先送りし続けているうちは何も積み上げることはできない。今しか生きない刹那主義でなく、次があるさと問題を先送りするでなく、両方のバランスを取って生きるのは意外と難しい。

人生はいつだってラストラップ。次の周回はないのだ。

それを得るために何を失うか…
選ぶのはいつだって自分自身だ
気付かなかったなんて通用しない

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コメント

この最終周回を、何をするにも真剣に生きてみせようと改めて思いました。
涙さえ零れそうになる素晴らしい文章をありがとうございます。

投稿: POLA-MIN | 2009年5月17日 (日) 01:14

こんにちは。


イタリアで走ってる38歳に比べれば、気が楽になるんじゃないでしょうか?(逆に落ち込むかも)

まだ僕は38歳ではないですが、さすがに30代になると体力の低下を感じます。世の中、世界のトップになるために走っている人間がいてそういう人達のためのトレーニング論は日々更新されています。
しかし、オッサン・オバサンのためのトレーニング論ってあんまり聞かないですよね?

歳をとっても、日々自分を高めるためのトレーニング理論がもっと知りたいですし、livestrongさんみたいにそういう努力を続ける人は輝かしくみえます。

トライアスロンの大会で80代の選手がゴールし終わった後のインタビューで「来年はもっと早くゴールしたい。」って言ってたのが思い出されます。

トレーニング頑張ってください。

投稿: cano | 2009年5月17日 (日) 01:15

初めまして。いつも楽しく読ませて頂いてます。

「人生はいつだってラストラップ。次の周回はないのだ。」
良い言葉ですね。

僕も去年事故にあうまでは、同じ明日が周ってくる平穏な毎日に慣れてました。でも今はプロスポーツ選手でもないのに、まさにそんな気持ちで走ってます。思うように動かない身体にもどかしく、さらにストイックになる自分にバカバカしく思う時もありますが、続ける勇気を頂きました。ありがとうございました。

投稿: yas | 2009年5月17日 (日) 11:58

このブログに出会うまで、僕は僕ではなかった気がします。
今日を、明日を、大事に生きていこうと思える、本当に素敵な記事です。
ありがとうございます。

投稿: IMX | 2009年5月17日 (日) 20:45

僕も先月、骨折してほんとうにそう思います。何かを犠牲にしてでも成し遂げたいことがあるならそれなりの対価を払わねばなりません。

時間・労力・お金などなど。
プロでなければ、そのひとつだけを犠牲にしたつもりがほかのいろんなものも犠牲にしてしまうでしょう。
それでも出来る事だけをやるだけです。その線引きは自分がするだけです。

家族なり、経済的理由なり、体調なり、手を抜く理由は誰にでも有ります。

やるかやらないかは自分次第。どこまでやるかも自分次第。

できる範囲でベストを尽くすだけ。それでしか充実感すら得られません。

無限地獄のようでもあり、至上の天国でもあります(笑)

すべては、自分次第だと思います(できればlivestrongさんにはきちんと怪我を治して欲しいですが)。

投稿: やあくん | 2009年5月17日 (日) 22:07

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