天下無双
ウチにはTVがない。
ほとんど休むことなくほぼ毎日ペースでBlogに投稿し続けられるのも、特別な秘密があるわけじゃなくて
一日の中に「TVを見ている時間」が存在しない
のが最大の理由だと思っている。
それ故いざTV番組を見るとなると一苦労なのだが、9月15日にNHKでやった「プロフェッショナル 仕事の流儀」漫画家 井上雄彦 特集は是非とも見たくてわざわざTVを見に行った。
昭和30年代かよ。
作品を見ていて尋常ならざる人物だろうとは思っていたが、やっぱり尋常じゃなかった。
カタにはまった言葉で井上雄彦を形容するのは難しい。
井上雄彦として空前絶後
なのだろう。そりゃ誰だって○○さんとして空前絶後であって人類史上「マッタク同じ人生を歩んだ二人」など存在しないのだが、イチローが他の日本人野球選手とは違う境地に辿り着いた(ようにワタシには見える)のにも似て、とてつもない境地に辿り着いてしまった人物なのは確か。「入れた線を修正することはほとんどない」のは、凡人には驚異的でも傑出した画力の持ち主と限れば珍しくない話で、ある意味驚くに当たらない。ベースとなるレベルが普通とは違う人間だからだ。が、
「筋はほとんど考えていない」
には恐れ入った。登場人物達が“それらの人物達としてあるべき動き”をすればそれがストーリーになっている筈だと。理屈上は確かにその通りなのだけど、その理屈を本当にそのまんま実践できた作家など人類史上何人いるのだか。漫画史上最高クラスにメガヒットした「スラムダンク」も、初期の段階で主人公 桜木花道の
「こいつのここが好きだな」
と自分で思う部分に気づき
「桜木ならこうする」
で桜木のやりたいようにやらせた結果あのような話になっていったのだそうだ。
この手の作風を得意とする作家のほとんどが、自分の創造したキャラクターに次第に付いていけなくなってワケの分からない話になり収拾がつかなくなって無理に最終回を持ってくる羽目に陥る。こちらは生身で向こうは作中想像上の存在なのだから、たとえ取り上げているのがごくごく日常的な内容であろうと作家自身が付いていけなくなることに何ら不思議はない。ましてや非日常的な内容であれば、作家側が付いていくのは容易ではない。常に自分の日常とはかけ離れた存在を追い続けなければならないストレスは大変なものだ。(キャラが立ちすぎてストーリーが中途破綻して終わるのがお約束になっている作家の一人が、現在長期休養中の安野モヨコだろう)
キャラクターに入り込み「〜ならどうするか」「〜ならどう感じるか」を突き詰め考え抜くことで物語を作ってゆくそのやり方ゆえ、キャラクターが感じている筈の苦しさや痛みを看過できなくなるほどキャラクターとの距離が接近してしまった事がある。結果としては、全く描けなくなり一年の休筆を招いた。これはまさに物語とsynchronizeしすぎて危険な状態だろう。この手の陥穽にハマり、それでも書こうとした結果死んでしまった歴史に残る大小説家・大詩人が何人もいる。この、自分が産み出した物語の暗黒面に自ら“取り込まれて”しまって道を見失い描けなくなった休載エピソードも、本人は大変だったろうが逆に“歴史に残る”級の資質を持つことを示している。見ている方はたまげるばかりだ。そこまで入り込むがゆえ、あれほどクソいまいましいキャラクターであったお杉婆さんに、あれほど素晴らしい最期を用意できた。お杉婆さんが急に改心していい人になったのではナイ。最期の最期までキッチリお杉婆さんだった。にもかかわらず、あの圧巻の最期。いやむしろ最期までお杉婆さんだったからこそあの最期になった展開が凄い。最期の表情は、本人がネームを書いた時に思い浮かべた以上のいい顔だったそうだ。TVでは語られなかったが、お杉婆さんの最期には、読者からの「コンビニの店頭で思わず泣いた」「生まれて初めて本屋で立ち読みしながら涙してしまった」ような話が枚挙に暇がない。
「プロフェッショナルとは“向上し続ける人”と思います。…僕にとっては」
久々にまともにTVを見たが、無駄な手間を払ってまで見た価値はおまけまで付きそうなくらいあった。
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